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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)8332号 判決

原告 榎本淳子

被告 星野四郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し、別紙目録記載の家屋(以下単に本件家屋と略称する)を明渡し、且つ昭和二十八年一月一日以降その明渡し完了まで、毎月金千円の割合による損害金を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

(一)  原告先代榎本鉱治は、訴外野原松次郎に対して、本件家屋を昭和二十二年五月以降賃料一ケ月三百五十円、毎月末日払い期限を区画整理完了までと定めて賃貸し、昭和二十六年四月以降、右賃料を一ケ月五百円に昭和二十七年一月以降は、一ケ月千円に合意変更した。

(二)  しかるに訴外野原は、昭和二十五、六年頃から、被告に本件家屋を無断転貸しているのみならず、昭和二十八年一月一日以降同二十九年七月末日までの賃料を支払わないので、昭和二十九年八月十六日附訴外野原到着の書面をもつて右書面到着の翌日から三日以内にこれが支払いをなすべく、若し支払いなき場合にはその不払いを条件として賃貸借契約を解除する旨の表意に及んだが訴外野原は遂に催告に応じなかつたので催告期間満了の日である昭和二十九年八月十九日の経過と共に、右賃貸借契約は解除された。

(三)  よつて本件家屋の占有者である被告は右占有につき原告先代に対抗し得る権原を持たなくなつたので原告先代に対し本件家屋の明渡し並びにその不法占有後である昭和二十八年一月一日以降明渡完了まで一ケ月金千円(賃料相当額)の割合による損害金の支払いをする義務がある。しかるところ右先代は、昭和三十一年二月二十日死亡しその相続人である原告において本件家屋の所有権を承継取得したので被告に対し右義務の履行を求める。

と述べ、被告の抗争事実を否認し、本件家屋は飲食店営業用の店舗として訴外野原に賃貸したものであり後日に至つて訴外野原か或いは被告かは明らかでないが、本件家屋の中に寝泊りする場所を造つたとしてもその点については原告先代の許可もなく賃貸借契約もなく従つて賃料算定の対象にもなつていないから、本件家屋がいわゆる「併用住宅」となるものではない。しかも地代家賃統制令の改正によつて昭和二十五年七月十二日以降本件建物の如きは統制が解除されているのであり、場所柄から見ても一ケ月金千円の賃料が不当に高価であるとはいえない。と主張したとえ本件家屋中に被告の寝泊りするところがあつたとしても賃借人は訴外野原であり無断転借人が被告であり営業主は星野とし子という訴外人であるから地代家賃統制令第十二条二号の規定に該当せず、それ故に本件家屋は併用住宅ではない。原告先代が営業主である被告の妻星野とし子に対して仮に家屋使用承諾書を与えこれによつて本件家屋の転貸を承諾したことになつたとしても本件建物がいわゆる「併用住宅」としての取扱いを受けるものではないから被告の主張は理由がない。と陳述し、立証として甲第一号証同第二号証の一、二、同第三号証を提出し、証人高橋巴治の証言、原告法定代理人本人榎本フキ及び当時原告本人であつた原告先代亡榎本鉱治尋問の結果を援用し、乙第一号証同第二号証同第七号証の四の各成立は不知その余の乙号証は全部その成立を認める。と述べた。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決並びに敗訴の場合における保証を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、請求の原因に対する答弁として(一)について、原告先代が訴外野原に本件家屋を賃貸していた事実は認めるがその契約内容は不知(二)、については、被告が訴外野原より昭和二十五、六年頃原告に無断で本件家屋を転借したとの事実は否認し、その余は不知(三)については被告が本件家屋の占有者であること原告先代が原告主張の日死亡し原告において本件家屋の所有権を承継取得したことは認めるがその余は否認する。と述べ更に被告が、訴外野原から本件家屋を転借した時期は、昭和二十二年十二月からでありしかも右転貸については、訴外野原において原告の承諾を得ている被告は右転借の際訴外野原に対して権利金四万五千円、仲介料七千円を支払つたものである仮に転借が無断になされたとしても原告先代は其后間もなく右転借について黙示の追認をなしたし更に原、被告間には、訴外野原の了解を得ることを条件として賃貸借契約の予約が成立している。即ち被告と訴外野原とが不仲になつた昭和二十六年一月頃被告は原告方を訪ね原告先代及びその妻に対して「直接に本件家屋の賃料を受取るようにして欲しい」と懇請したところ原告は「今のところ家賃は野原が持つて来るので二重になるが、いづれ野原と話しをつけて返事をする。野原が若し家賃を持つて来ない場合には、被告と直接の契約をする」旨の約束をしたものである。次に原告先代の訴外野原に対する家賃債務不履行を理由とする契約の解除は無効である。すなわち本件家屋はわづか五坪の併用住宅であり地代家賃統制令の適用をうくべきものである。従つて原告先代が訴外野原に本件家屋を賃貸した昭和二十二年五月より同二十七年七月末日までに支払われるべき公定家賃は数回にわたる値上げを加算しても総計九千八百円であり訴外野原が右期間に現実に支払つた闇家賃の合計は、実に三万二千九百五十円であり訴外野原が同期間に過払した額は二万三千百五十円の多額に昇り昭和二十九年八月現在までの公定賃料合計の七千五百二十四円を控除したとしても尚一万五千六百二十六円の返還請求権を有することが明らかであるから、訴外野原には、原告が契約解除の原因としたところの賃料債務の不履行という事実はなかつたものである。と主張し立証として乙第一号証乃至同第九号証(但し同第七号証はその第一乃至五)を提出し、証人中野惟已、稲葉栄三郎、石塚昇の各証言及び被告本人尋問の結果(一、二回)を援用し、甲第三号証の成立は不知、その他の同号各証の成立は全部認める。と述べた。

理由

原告先代が昭和二十二年五月頃から本件家屋を訴外野原に賃貸していたこと、及び被告がそれを転借して現にその占有者であることについては当事者間に争いがないが、原告は被告の占有は不法占有であると主張しその理由として、第一に被告が訴外野原から本件家屋を転借したのは賃貸人である原告の承諾なきものである第二に賃借人(転貸人)訴外野原は賃料債務不履行を理由として昭和二十九年八月十九日かぎり原告との間の賃貸借契約を解除されたから、被告の占有も又理由なきものに帰した。と述べ被告はこれを争うので此の点について判断する。先づ第一の点については証人高橋巴治、中野惟已の証言、及び原告先代亡榎本鉱治被告本人尋問の結果(被告本人は、一、二回とも)並びに証人中野惟已の証言被告本人尋問の結果(二回)によりその成立が真正であると認められる乙第七号証の四を綜合すると、

被告が本件家屋を転借するに際して、原告の承諾があつたことは必ずしも明らかでないが、(一)、被告が本件家屋に居住したのは昭和二十二年五月頃からでありその間原告先代が本件家屋の隣りに居住し昭和二十三年八月頃まで同所において植木屋を営み被告と親しく交際していた事実、(二)、昭和二十六年頃被告が原告先代に対して訴外転貸人野原松次郎と被告が不和となつたため本件家屋の賃貸借を直接関係にして欲しい旨を懇願しまた、もし野原において賃料を延滞したときは必ず自分の方で払うと申向けたところ原告がいづれ野原と交渉してその様にしてやると答えた事実(三)、被告と同居の妻である訴外星野とし子に原告先代亡榎本鉱治が本件家屋の営業のための使用承諾書を与えた事実(四)被告は昭和二十五、六年頃原告先代のため附近の借地借家人の賃料を預つてやつたことのあること等を認めることが出来る、右認定に反する前記榎本鉱治の陳述原告法定代理人本人尋問の結果は信用せず他にこれに覆すに足る証拠もない。

而してこれらの事実を綜合して見ると原告は、被告が本件家屋の使用を継続することについてこれを認容していたことが明らかであり少くとも転借について黙示の追認があつたものと断ぜざるを得ない。しからば、無断転借であると主張する原告のこの点に関する陳述は理由がないといわねばならない。

次に第二の点について、原告は、原告先代の訴外野原に対する契約の解除を有効とし被告はこれを争うのであるがこの点に関する事実認定の如何はしばらく措き、かりに原告の主張のように訴外野原松次郎においてその賃料債務の不履行がありこれが為賃貸借契約解除の意思表示がなされたと仮定しても、原告が一たんその承諾を与えたる転借人の地位を、転借人の責に帰すべからざる賃借人(転貸人)の賃貸人に対する賃料債務不履行という単にそれだけの理由をもつてしかく簡単に覆滅しその明渡しを請求しうるか否かは相当考慮の要がある。

借家法第四条が賃貸借期間満了又は解約申入により終了すべき転貸借ある場合に賃貸借が終了すべきときは、賃貸人は転借人に対しその旨の通知をしないとその終了を以て転借人に対抗できないものとして正当な転借人の地位をできるだけ保護しようとし、また一面賃貸人には転借人に対し直接の請求権を認め、賃借人の債務不履行の場合でも転借人より直接、転借料の給付を請求し得る地位を認めている(民法第六一三条)従つて転借人の地位の形成や継続を認容した賃貸人並びに転貸人がその地位の維持継続を故なく阻害すべからざることはもちろん転借人の地位がその関知しない転貸人の賃貸人に対する債務不履行を理由として、覆滅されるを認容せねばならぬことは前記賃貸人と転借人の法律関係からみてもたやすく肯定し得ないものがある。いわんや本件においては賃借人と転借人が不和となつたため転借人より賃貸人に対し予め賃借人の賃料延滞の場合は転借人自らにおいて右賃料を支払う旨を念を押している事情が認められるのであるから前記解除の意思表示する前に賃貸人が転借人に対し賃借人の債務不履行の事実につき一片の通告さえあれば転借人は賃借人に代つてその賃料を弁済し自己の転借権の基礎である賃貸借契約を維持し得たことが容易に予想される。従つてかような事情の下において転借人に弁済をなし得る機会を与えずに前記賃貸借契約を解除した場合には、右解除自体の効果は格別少くとも転借人に対して右解除を対抗し得ないものと解するのが信義則上相当であると認定する。

よつて右解除の有効な事を前提とする原告の本訴請求は爾余の争点につき判断をなすまでもなく失当なのですべてこれを棄却する外なく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川真佐夫)

物件目録

東京都新宿区角筈一丁目七百四十二番地

家屋番号同所同番の四号

木造板葺平家建一棟建坪十五坪(但実測木造トタン葺二階建三戸建一棟建坪十七坪五合二階五坪)のうち中央の一戸

此の建坪五坪二階五坪

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